官から民へ 2
臨調の審議の中で、官僚が強く抵抗したということがありましたが・・・
しかし、毎年膨らむのが当然視されていた予算についても、57年度はゼロ・シーリング、58年度はマイナス・シーリングで押し切った過程で、官庁や政治家の体を張った反対がほとんどなかったということは、驚くべき変化です。
国鉄、電電の改革案のごときは、いわば従来の"親方日の丸"の機構を解体しようというものですが、これほどのことを平時によくもここまで切り込めたと思います。
この答申が完全に実施されたら、恐らく日本の行政はかなり変わるでしょう。
答申は官僚の手によって、かなり骨抜きされたと言われます。
それを否定はしませんが、しかしいかに立派な理想的な答申であっても、実行されなければ絵に描いた餅にすぎません。
昭和39年、池田内閣のもとでの第一次臨調のあの立派な答申が、すべての官僚から無視されたのは、あまりにも完全すぎたからではなかったでしょうか。